2月4日出エジプト28章 マタイ24:36-51

『愛の神、聖なる神』
【出エジプト 28:43 アロンとその子らは、会見の天幕に入るとき、あるいは聖所で務めを行うために祭壇に近づくとき、これを着る。彼らが咎を負って、死ぬことのないためである。これは、彼と彼の後の子孫とのための永遠のおきてである。】①旧約で教えられることは、天の父なる神様は、愛の方であると同時に、聖い方、聖なるお方であり、罪を持ったままで主に会う時、「打たれて死ぬ」のだという事実です。新約では、イエス様にごめんなさいと言えば、どんなことでも赦されると教えられています。それは事実なのですが、しかしだからと言って「神様を軽く考えたり」「無視したり」できるわけではないのです。イエス様の罪のために支払われた代価が、私たちを守って下さっているのです。その事実を知った者は、自分が頂いている恵みを正しく知り、本当の意味で、神様に感謝を捧げるようになるのです。

『イエス様の再臨を待ち望む』
【マタイ 24:42 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。24:43 しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。24:44 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。】①初代教会の弟子たちは、イエス様の再臨はすぐ来ると考えて、いつも備えていました。それから約2000年が経ちましたが、黙示録に何度も書かれている「わたしはすぐ来る」というイエス様の言葉をおろそかにしてはいけないのです。一日は千年のようにと聖書か記している以上、今の時代も「すぐに来られる」と考えて、信仰生活をすることが、聖書的な生き方なのです。

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