2月16日レビ記9-10章 マタイ2:22-47

『異なる火によって打たれた者』
【レビ10:1 さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を【主】の前にささげた。10:2 すると、【主】の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは【主】の前で死んだ。】

①アロンの二人の子は、主が認めていない火から、自分の火皿に火を取り込みました。
かつ祭壇で香をたくことができたのは、大祭司だけだったのです。
アロンの子であったとしても、特別な慈悲はありませんでした。
すべて平等であり、主が嫌われることをしたものは、裁きが与えられたのです。
旧約は、このような厳しさを学ぶ時代でした。

新約の今、イエス様は「毒麦のたとえ」で、神様の心を語られています。
それは裁かれる罪を避け、
へりくだって主の願いに応えるのを待っておられる主の姿です。
主は同じ主なのです。

『信仰者たちとの交わり』
【使2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。2:43 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。・・・2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。】

①初代のクリスチャンは、上記のような交わりをしていました。
この関係が教会の理想形です。
私たちの教会もその関係を目指していきましょう。
そこに神の業が起きるのです。

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