3月27日申命記33-34章 使徒26:19-32

『神との交わり』
【申34:10 モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼を【主】は、顔と顔とを合わせて選び出された。34:11 それは【主】が彼をエジプトの地に遣わし、パロとそのすべての家臣たち、およびその全土に対して、あらゆるしるしと不思議を行わせるためであり、34:12 また、モーセが、イスラエルのすべての人々の目の前で、力強い権威と、恐るべき威力とをことごとくふるうためであった。】

①モーセの突出した点は、
旧約時代にあって、神と親密な交わりを持ち、神の御思いを理解していた点です。

クリスチャンが最も望むことは、
イエス様を知り、イエス様との親しい交わりを体験することです。
それは神の子としての最も素晴らしい特権なのです。

『パウロの弁明と宣教』
【使26:23 すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」26:24 パウロがこのように弁明していると、フェストが大声で、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」と言った。26:25 するとパウロは次のように言った。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。26:26 王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます 26:27 アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」・・・】

①パウロは、ユダヤ教の知識を持つアグリッパ王の前で、「弁明」をしました。
しかしこれはイエス様のことを伝える「宣教」の時となったのです。
主は、どのような時でも「イエス様を証しする機会」とすることができます。

私たちが「キリストと共に生きているなら」
(親しい祈りの交わりを絶えずイエス様と持っているなら)、
どんな「会話」も「弁明」も「証」となり得るのです。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。
search previous next tag category expand menu location phone mail time cart zoom edit close