12月15日エゼキエル43-44章 黙示録7章

『聖いお方』
【エゼキエル44:4 彼は私を、北の門を通って神殿の前に連れて行った。私が見ると、なんと、【主】の栄光が【主】の神殿に満ちていた。そこで、私はひれ伏した。44:5 すると【主】は私に仰せられた。「人の子よ。【主】の宮のすべての定めとそのすべての律法について、わたしがあなたに告げていることをことごとく心に留め、それに目を注ぎ、耳を傾けよ。宮に入れる者と、聖所に入れないすべての者を心に留めよ。44:6 あなたは、反逆の家、イスラエルの家にこう言え。神である主はこう仰せられる。イスラエルの家よ。あなたがたのあらゆる忌みきらうべきわざは、もうたくさんだ。・・・」】①エゼキエルは、神殿の北門で、再び主の栄光を体験し、そのままひれ伏してしまいました。主のご臨在は、そのように聖く力強いものなのです。主はその臨在の中で、すでに語られていた神の言葉を心に留めるようにと語られたのです。そして聖めを命じました。・・・私たちは、自分の考えで、神の聖さを、いい加減に見てはいけないのです。私たちが受け止めても受け止められなくても、神は聖いお方です。その聖いお方に、喜ばれるように、私たちは生きるのです。汚れたものは捨てなければならないのです。

『天国での平安』
【黙7:14すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」】①患難時代の中で、イエス様を信じた人々のことがここに書かれています。私たちが、天国に行った後は、このような「涙も悲しみもない」世界に入るのです。今の時代は、苦しみがあるかもしれません。しかし将来に与えられる素晴らしさと比べるならば、それは小さなものなのです。

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