12月30日マラキ1-2章 黙示録21章

『心の態度を見ておられる主』
【マラキ1:6 「わたしの名をさげすむ祭司たち。あなたがたは言う。『どのようにして、私たちがあなたの名をさげすみましたか』と。1:7 あなたがたは、わたしの祭壇の上に汚れたパンをささげて、『どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか』と言う。『主の食卓はさげすまれてもよい』とあなたがたは思っている。1:8 あなたがたは、盲目の獣をいけにえにささげるが、それは悪いことではないか。足のなえたものや病気のものをささげるのは、悪いことではないか。さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたをよみし、あなたを受け入れるだろうか。」】①目に見える人間に対して、良いものを渡しても、見えない神に対して、適当にいい加減なものを捧げるならば、それは悪い態度です。主を軽く見ている人がいるならば、愚かです。その愚かさは、人生のどこかで明らかになってしまうのです。小さなことに忠実に主に仕える人は、結果として大きなことを任せられるのです。・・・小さなことを大切にしましょう。主はあなたの「心の態度」をいつも見ておられるのです。

『新しい天と地』
【黙21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
21:11 都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。
21:22 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。21:23 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
21:27 しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。】①私たちが、聖書的な期待を寄せ、人生の最終目標にしているのは、ここに書かれている「造りかえられた新しい世界」です。ここに、クリスチャンは完全な状態で住むことができると約束されているのです。ここは涙も悲しみもない世界です。このような場所に私たちを招くために、イエス様は十字架の犠牲を払って下さったのです。これらのことを知り、励ましとして覚え、地上の使命に励みましょう。地上の苦しみがかすんでしまう程の、「素晴らしい天国」に私たちは入ることができるのですから。

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