1月7日創世記18-19章 マタイ6:1-18

『不信仰の中から助けてくださる主』
【創18:12 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」18:13 そこで、【主】がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。18:14 【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」18:15 サラは「私は笑いませんでした」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」】①神様の約束があったにもかかわらず、サラも「実の子供」が与えられるという言葉を信じることができませんでした。そして笑ってしまったのです。私たちも、神様の約束を考えるときに、笑ってしまうようなことがあるかもしれません。しかし主の計画ならば、実現するのです。主はそのために、私たちの信仰を引き上げてくださるのです。正直に主に訴える時に、主は、不信仰の中でも、助けてくださるのです。

『認められたいという、誘惑』
【マタイ6:1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。6:4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。】①人に認められたいという強烈な動機を持つ人は、人から認めてもらうために競争し、自分の成功を自慢し、礼拝と言いながら、自分が一番になる欲望を満たすために、演技をする傾向があります。神様に認められていることを知っており、神様を喜ばせたいと願う人は、ガツガツしていません。穏やかにコツコツと愛の行いをするのです。力が入りすぎている人は、自分の本音をよく「思い起こすこと」が大切です。「認められたい」と願いながら「謙遜のふり」をすることは、神の前で非常に滑稽なことなのです。

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