3月18日申命記11-12章 使徒21:1-16

『祝福と呪い』
【申11:26 見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。11:27 もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、【主】の命令に聞き従うなら、祝福を、11:28 もし、あなたがたの神、【主】の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。】①主は、愛の神です。ですから私たちを愛しておられます。しかし同時に義の神でもあるのです。主に従えば祝福され、反逆すれば(違うものを神として第一にするなら)、悪い刈り取りがあるのです。もし反逆していても、祝されているように見えるならば、主が、その人の方向転換を「待っておられる」ことを知らなければなりません。主は罪を、どこかのタイミングで、必ず裁かれます。そのことを知って、神様とお付き合いをする時に、イエス様の「赦しの恵み」が、どれほど大きなものであるかが分かるのです。

『パウロの覚悟』
【使21:11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。21:12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。21:13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。】①パウロは、様々な預言を通じて、「自分がエルサレムに行けば迫害に巻き込まれること」を知っていました。しかしパウロはその道を行くことを「良し」としていたのです。パウロは、それが「キリストの願い」であると知っていました。「人生の計画」を受け入れる「覚悟」していたのです。

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