4月27日Ⅰサムエル29-31章 マルコ15:21-47

『主に与えられる新しい力』
【Ⅰサムエル30:8 ダビデは【主】に伺って言った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」するとお答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」30:9 そこでダビデは六百人の部下とともに出て行き、ベソル川まで来た。残された者は、そこにとどまった。】①ダビデは、主の助けによって、絶体絶命の危機を乗り越えることができました。しかし家族の待つツィケラグに戻ると、アマレク人によってすべてが略奪された後でした。仲間たちは混乱しましたが、ダビデは主に祈りました。すると主は「必ず救い出すことができる」と言われました。そして事実、家族と奪われたものを、取り返すことができたのです。人間は、疲れの限界を超えると否定的になります。しかし主に祈る者は、「新しい知恵と力」を頂くことができるのです。(イザヤ40:31)

『イエス様の受けられた仕打ち』
【マルコ 15:16 兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。15:17 そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、15:18 それから、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをし始めた。15:19 また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。15:20 彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。】①イエス様は、祭司長たちの扇動によって「十字架刑」に処されてしまいました。そして兵士たちによって、殴られ、馬鹿にされました。本来このような仕打ちは、王の王であり、この世界を造られたお方に対して、「あってはならないこと」です。しかしイエス様は、この信じられない行為を、受け止め、しのばれたたのです。イエス様は、このような犠牲をしのばれるほど、「私たちことを愛して」おられるのです。

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