11月28日エゼキエル5-7章 ヨハネ20:1-18

『悔い改め』
【エゼキエル6:9 あなたがたのうちののがれた者たちは、とりこになって行く国々で、わたしを思い出そう。それは、わたしから離れる彼らの姦淫の心と、偶像を慕う彼らの姦淫の目をわたしが打ち砕くからだ。彼らが自分たちのあらゆる忌みきらうべきことをしたその悪をみずからいとうようになるとき、6:10 彼らは、わたしが【主】であること、また、わたしがゆえもなくこのわざわいを彼らに下すと言ったのではないことを知ろう。】①人々は、裁きの苦しみによって、自分たちの罪深さに気づき、罪を心から悲しむようになりました。そして、それらの苦しみを通じて、【主】がおられること、裁きには理由があることを悟ったのです。この章には「私が主であることを知る」と何度も書かれています。苦しみの中で主と出会うことは、主の御心でもあるのです。

『イエス様に気がつく時』
【ヨハネ20:15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」20:16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。】①復活されたイエス様を、マリヤは最初、イエス様だと気がつきませんでした。しかしイエス様はマリヤに語り掛け、マリヤは気がつくことができました。私たちも、イエス様が身近におられるはずなのに、主の働きを気がつかないことがあるのです。しかし、イエス様が働きかけて下さる時、気がつくのです。

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