1月3日創世記6-8章 マタイ3章

『主の約束』
【創8:21 【主】は、そのなだめのかおりをかがれ、【主】は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。8:22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」】①天の父なる神様は、ノアの洪水の後、ノアの捧げた全焼のいけにえを見て、「今後はこのような裁きをしない」と言われました。主は、人間が「罪深く、愚か」であることを受け止め、裁きは、後の「十字架によって」すべて清算することを、表明されたのです。私たちは現在「愚かなこと(罪を犯した)」としても、十字架によって「赦されて」います。私たちが考えることが「初めから悪である」ことを、主はすでに受け止めて下さっているのです。

『正しいことをされたイエス様』
【マタイ3:15 ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。3:16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。】①イエス様は、バプテスマのヨハネから「洗礼」を受けられました。イエス様は、そうする必要がなかったにもかかわらず、正しいことをしていかれたのです。それは私たちへの模範を示されたのです。私たちも、イエス様にあとをついて行きましょう。イエス様が為された「正しいこと」を私たちもしていくのです。その時、私たちは「自分が罪にまみれ」「イエス様の十字架が無ければ」「一つも正しいことができない存在」であることを悟るのです。

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