7月11日ヨブ25-28章 1コリント4章

『自分の義と神様の義』
【ヨブ28:23 しかし、神はその道をわきまえておられ、神はその所を知っておられる。28:24 神は地の隅々まで見渡し、天の下をことごとく見られるからだ。28:25 神は風を重くし、水をはかりで量られる。28:26 神は、雨のためにその降り方を決め、いなびかりのために道を決められた。28:27 そのとき、神は知恵を見て、これを見積もり、これを定めて、調べ上げられた。28:28 こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」】①ヨブは、自分の正しさを主の前に主張していますが(27:1-)、同時に、ここでは主はすべてを知っておられると語っているのです。私たちも同じです。自分は正しいと神の前に主張しますが、同時に、神は正しく自分は間違っている部分がある、とも知っているのです。これが正直な人間の姿です。この揺れの中で、私たちは、正しい方向に導かれていくのです。

『間違った裁きの基準』
【Ⅰコリント4:3 しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。4:4 私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。4:5 ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。】①パウロは、自分の考えに自信をもってはいましたが、しかし自分が正しいと断言できないと知っていたのです。正しさを宣言できる方は、主だけです。あなたは自分が正しいと思っていますか? それは素晴らしいことですが、しかパウロの言葉を借りれば、無罪ではない(すなわち有罪であり、間違っている)部分もあるのです。主が正しく裁かれることを知りましょう。私の持つ「さばきの基準」は、基本的に間違っているのです。だからこそ、主を求め続けるのです。

 

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