8月2日詩編60-63章 2コリント10章

『主に渇いた、たましい』詩編60-63章
【詩63 ダビデの賛歌。彼がユダの荒野にいたときに
 63:1 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。63:2 私は、あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。63:3 あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。
63:6 ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。63:7 あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。63:8 私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。】①荒野とは、欠乏の地です。荒野でこそ、主を求める場です。荒野でダビデは、主を慕って気を失うばかりに求めました。荒野を通る時は、恵みの時なのです。主との深い関係は、荒野でなければできないからです。(天国に到着したら、荒野体験はできないのです)


『私たちの戦いの武器』2コリント10章
【Ⅱコリント10:3 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。10:4 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。10:5 私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、10:6 また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。】①霊的戦いは、しばしばキリスト者の心の中が戦場となります。その戦いで基準があり、それによって戦わなければ勝てません。私たちの考えや願いを、キリストの言葉に合わせることが必要です。そうでないと、いつの間にか考えがズレてしまうのです。(戦えなくなります)「歪んだ自己愛」(肉・不従順を愛する心)は危険です。神様を無視した「人間中心主義(自分中心)」も恐ろしい考えです。キリストが基準であり、それを意識することにより、勝利が与えられるのです。

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