8月10日詩篇85-88篇 ロマ3章

『救いを求める祈り』詩篇85-88篇
【詩86 ダビデの祈り86:1 【主】よ。あなたの耳を傾けて、私に答えてください。私は悩み、そして貧しいのです。86:2 私のたましいを守ってください。私は神を恐れる者です。わが神よ。どうかあなたに信頼するあなたのしもべを救ってください。86:3 主よ。私をあわれんでください。私は一日中あなたに呼ばわっていますから。86:4 あなたのしもべのたましいを喜ばせてください。主よ。私のたましいはあなたを仰いでいますから。】①ダビデは、主の訓練を受けていました。それは選ばれている筈なのに、苦しみを通過しなければならないという、理不尽さに対し、「どう応答するのか」という訓練でした。そしてダビデは最後まで、主を信頼し、主に叫び求めたのです。ダビデの信じる、私たちの主は、「叫び」に応えて下さるお方です。私たちも時に、叫びつつ、ダビデと同じ「主の恵み」を体験するのです。あきらめずに、叫び続けましょう。


『信仰による義』ロマ3章
【ロマ3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。3:25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
3:28 人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。】①私たちは、どれほど取り繕っても「罪人」です。自分の力では。神に喜んで頂くことはできないほど、みじめな存在なのです。しかしそんな私を、愛し、赦すために死んでくださった方がおられるのです。その事実を受けとめる時に、私たちには感謝と賛美が湧き上がってくるのです。それが行いではなく、信仰によって救われたいうことです。

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