『主を愛すること、恐れること』箴言8-9章
【箴8:17 わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。8:18 富と誉れとはわたしとともにあり、尊い宝物と義もわたしとともにある。
9:10 【主】を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。9:11 わたしによって、あなたの日は多くなり、あなたのいのちの年は増すからだ。9:12 もし、あなたが知恵を得れば、その知恵はあなたのものだ。もし、あなたがこれをあざけるなら、あなただけが、その責任を負うことになる。】
『律法はキリストへの養育係』ガラテヤ3:15-25
【ガラテヤ3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。3:25 しかし、信仰が現れた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。3:26 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。】①律法によって、私たちは自分が罪人であることを悟ります。罪人だと自覚して、はじめて救い主を求めるようになるのです。私たちは、異邦人からクリスチャンになりました。ですから、律法の霊的な意味を理解する必要があります。律法は、裁くためにあるのではありません。裁かれるべき罪人が救われるためにあるのです。