『私は、私の愛する方のもの』雅歌6-8章
【雅6:1 女のなかで最も美しい人よ。あなたの愛する方は、どこへ行かれたのでしょう。あなたの愛する方は、どこへ向かわれたのでしょう。私たちも、あなたといっしょに捜しましょう。6:2 私の愛する方は、自分の庭、香料の花壇へ下って行かれました。庭の中で群れを飼い、ゆりの花を集めるために。6:3 私は、私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。あの方はゆりの花の間で群れを飼っています。】
①花婿と花嫁の関係は、イエス様と私たちとの関係に重なります。
イエス様は私のことを愛して下さり、私はイエス様のものなのです。
そのような、主との愛の関係を私たちは見つけることができるのです。
『パウロの考え』ピリピ3:12-4:3
【ピリピ3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。3:15 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。】①パウロは、自分は完成されているわけではない、と言っています。これはクリスチャンの実感ではないでしょうか。そしてキリストが自分を捕らえて下さっている、と言っているのです。私たちは、自分の思い通りに生きられる訳ではありません。キリストの導く「道」の上で、精一杯「捕らえる努力をしている」だけなのです。今の環境は、キリストが準備して下さったものと受け止めましょう。その中で目標に向かって歩むだけなのです。