『罪を裁き、民を赦されるお方』
【ミカ2:1 ああ。悪巧みを計り、寝床の上で悪を行う者。朝の光とともに、彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ。2:2 彼らは畑を欲しがって、これをかすめ、家々をも取り上げる。彼らは人とその持ち家を、人とその相続地をゆすり取る。2:3 それゆえ、【主】はこう仰せられる。「見よ。わたしは、こういうやからに、わざわいを下そうと考えている。あなたがたは首をもたげることも、いばって歩くこともできなくなる。それはわざわいの時だからだ。」・・・
2:12 ヤコブよ。わたしはあなたをことごとく必ず集める。わたしはイスラエルの残りの者を必ず集める。わたしは彼らを、おりの中の羊のように、牧場の中の群れのように一つに集める。こうして人々のざわめきが起ころう。】①ミカは、神を怒らせた罪をさらけだし、神の裁きの確かさを警告しました。しかし12節を見ると、捕囚の期間の後、少数の残された者たちがいることを告げたのです。主はいつまでも怒ってはおられません。主は、悔い改める者の罪を赦し癒されるのです。
『私たちの本質を見ておられるイエス様』
【ヨハネ1:42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」】①イエス様はシモンに出会った時、彼を「ケパ(岩)」と呼ばれました。シモンペテロは、当初「岩」のような安定した人物ではありませんでした。感情的であり、極端に走ってしまう弱さを持っていたのです。しかし聖霊を受けた後、彼は変えらました。・・・イエス様は私たちの「本質」を見ておられます。それは時に、過去の姿ではなく、将来の姿を見て、語られることがあるのです。