11月18日エレミヤ38-40章 ヨハネ13:1-30

『主に信頼する者は、守られる』
【エレミヤ39:16 「行って、クシュ人エベデ・メレクに話して言え。『イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。見よ。わたしはこの町にわたしのことばを実現する。幸いのためではなく、わざわいのためだ。それらは、その日、あなたの前で起こる。39:17 しかしその日、わたしはあなたを救い出す。──【主】の御告げ──あなたはあなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。39:18 わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちはあなたの分捕り物としてあなたのものになる。それは、あなたがわたしに信頼したからだ。──【主】の御告げ──』」】①主に信頼する者は、守られることがこの個所からも分かります。どれほどひどいことが起きても、理不尽なことが与えられても、主に信頼する者は、導かれ、守られるのです。

『イエス様の愛に応える』
【ヨハネ13:1 さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。13:2 夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、13:3 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が神から出て神に行くことを知られ、13:4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。13:5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。】①イエス様は、十字架の直前、最後の晩餐にて、弟子たちの足を洗われました。驚くべきことに、裏切ったユダの足も洗われたのです。イエス様の十字架の愛は、反逆するものも愛される愛です。しかしその愛に応えるか、無視するかは、本人の判断にかかっているのです。イエス様の愛を受けとめましょう。イエス様を悲しませることを、私たちはしたくないですから。

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