12月26日ゼカリヤ4-6章 黙示録18章

『主の霊の力によって』
【ゼカリヤ4:6 すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの【主】のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の【主】は仰せられる。4:7 大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」】①この言葉は、ゼルバベルに与えられただけでなく、神を信じ、神の力を信じる者に与えられたみ言葉でもあります。政治的な力や、人間的な力では、神の働きを進めることはできません。聖霊の力によって、初めて主の働きが進むのです。あなたは自分の力以上に、聖霊の力を本気で求めていますか。そのように導かれている人は幸いです。苦しみの中でこそ、主の助けを体験できるのです。

『高ぶりの裁き』
【黙18:7 彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを、彼女に与えなさい。彼女は心の中で『私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない』と言うからです。18:8 それゆえ一日のうちに、さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は力の強い方だからです。】①彼女(大バビロン)とは、患難時代のキリストに反逆する組織のことを表しています。その高ぶりに応じて、ふさわしい裁きがあるのです。・・・高ぶりは恐ろしい罪です。そして高ぶりは神の前で、必ず裁かれるのです。しかしクリスチャンは、十字架を信じる信仰によって、裁きから過ぎ越されるのです。  

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