2月13日レビ記4-5章 マタイ28章

『精一杯の捧げもの』
【レビ5:6 自分が犯した罪のために、償いとして、羊の群れの子羊でも、やぎでも、雌一頭を、【主】のもとに連れて来て、罪のためのいけにえとしなさい。祭司はその人のために、その人の罪の贖いをしなさい。5:7 しかし、もし彼に羊を買う余裕がなければ、自分が犯した罪の償いとして、山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽を【主】のところに持って来なさい。一羽は罪のためのいけにえ、他の一羽は全焼のいけにえとする。】①人が罪を犯した時、その罪を赦していただくために、いけにえが必要でした。その規定は、羊か山羊でした。しかしそれを買う余裕がないものは、鳩でもよいと言われたのです。それさえも買えない人々には、小麦粉でよい、言われたのです。イエス様は、「私たちの罪を赦すため」に、ご自分の身を犠牲にされました。罪の赦しには、犠牲が必要なのです。しかしそれは「私たちが精一杯のもの」を「捧げる心」なのです。あなたは「そのような心」で、神様に「精一杯の気持ち」を捧げていますか?

『大宣教命令、弟子づくり命令』
【マタイ28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」①これはイエス様の「大宣教命令」です。イエス様は、弟子たちに、「キリストの弟子を育てる」ようにと命じられたのです。私たちにも「同じ命令」が与えられています。その為に「まず自分自身」が「イエス様の言葉を聞き」、聞いたことを「伝える」のです。チャレンジもあります。しかし自分が止めてしまったら、自分が伝えるべき人には伝えられないのです。弱さを自覚しつつ、助けを求める時に、主は「あなたを用いて」、良い働きを進められるのです。

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