『汚れと聖め』
【レビ14:54 以上は、ツァラアトのあらゆる患部、かいせん、14:55 衣服と家のツァラアト、14:56 はれもの、かさぶた、光る斑点についてのおしえである。14:57 これは、どんなときにそれが汚れているのか、またどんなときにそれがきよいのかを教えるためである。これがツァラアトについてのおしえである。】①主は、様々なものの「ツァラアト」と呼ばれる判断基準と、その聖めの宣言基準について、記されました。しかしこれは主の配慮でもあったのです。イスラエルの民は、近くに住み、もし伝染病が起きたならば、集団感染する可能性もあったのです。主は「汚れた」ものを封じ込めるためにも、これらの教えを語られたのです。聖さを学ばせるとともに、衛生面の安全の為にも、主はこれらの戒めを語られたと言えるのです。
『祈りによる、聖霊の満たしを通じて』
【使4:29 主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。4:30 御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」4:31 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。】①キリストの弟子たちは、キリストについて証しする「新しい勇気」が必要でした。キリストと共にある生活においても、抑圧や苦しみ、拒絶や痛みがあったのです。彼らは、祈りを通じ、聖霊に満たされることによって、それらの苦しみを乗り越えていきました。主は、「人間の限界」と実感させることを通じて、主の恵みを「切に求めるように」導かれます。私たちが、苦しみの中での「主の助け」実体験する時に、私たちの信仰は強まり、神との絆(きずな)が深くなるのです。