2月22日レビ記22-23章 使徒7:1-53

『真心からの捧げもの』
【レビ22:17 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。22:18 「アロンとその子ら、またすべてのイスラエル人に告げて言え。だれでも、イスラエルの家の者、またはイスラエルにいる在留異国人がささげ物をささげ、誓願のささげ物、あるいは進んでささげるささげ物として、全焼のいけにえを【主】にささげるなら、22:19 あなたがたが受け入れられるためには、それは牛、羊、あるいはやぎのうちの傷のない雄でなければならない。22:20 欠陥のあるものは、いっさいささげてはならない。それはあなたがたのために受け入れられないからである。」】①主への捧げものは「傷のないもの」でなければなりません。「イエス様」は「傷のない完全なお方」としてご自身を捧げられました。また傷のないものを捧げるとは、私たちの「心の姿勢」が問われるのです。主に「奉仕や捧げもの」をするならば、邪心からではなく「真心から」を捧げることが大切なのです。

『死の恐れを越える、聖霊の力』
【使7:51 かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。7:52 あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」】①ステパノは、無実の罪で投獄され、議会で尋問を受けました。彼は、大祭司や祭司たちの前で、恐れることなく、大胆に語り、指導者たちの罪をはっきりと指摘しました。それによって、自分が殺されそうになることを、恐れてはいませんでした。ステパノは、聖霊の力に満たされて、「死の恐れ」を越えて、語り続けたのです。聖霊が働かれると実際的な「恐れ」さえも、越えることができるのです。

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