『聖い神』
【民4:19 あなたがたは、彼らに次のようにし、彼らが最も聖なるものに近づくときにも、死なずに生きているようにせよ。アロンとその子らが、入って行き、彼らにおのおのの奉仕と、そのになうものとを指定しなければならない。4:20 彼らが入って行って、一目でも聖なるものを見て死なないためである。」】①旧約において、神様の聖さは、重要な教えでした。異火を捧げたナダブとアビフは、打たれて死にました。(レビ10章)アロンの子であっても例外は許されませんでした。罪を持ったまま、聖なるものを見る時に、打たれて殺されたのです。新約の時代も、そのことを忘れてはいけません。イエス様の十字架の赦しがありますが、神を恐れつつ、へりくだって聖めと赦しを受け入れることが大切なのです。もし、「十字架」が無かったならば、私たちは「罪によって」裁かれたのです。その「赦しの恵み」を忘れてはいけません。
『人間の考えを越えた神様の考え』
【使10:11 見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来た。10:12 その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。10:13 そして、彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい」という声が聞こえた。10:14 しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」10:15 すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」】①神様は、この箇所でペテロに幻を見せ、異邦人伝道を伝えました。ユダヤ人はユダヤ人(選民)だけに神の言葉を伝えると思い込んでいました。異邦人に伝えることは想定外だったのです。しかし神様は、人間の「こうだという」考えを越えさせます。神様は「人間の考え」は広げられるのです。