『すべきことを、まずしていく』
【ヨシュア17:14 ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「【主】が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」17:15 ヨシュアは彼らに言った。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」】①ヨセフ族は、自分たちは数が多いのに、どうして一つの割り当て地しか与えられないのかと、ヨシュアに文句を言いました。しかしヨシュアの答えは、「あなた方が多くて強いのならば、山地を切り開くべきである」というものでした。ヨセフ族は、すべきことをしていないのに「自分たちの要求」をしていたのです。「与えられた責任」を見極めましょう。「誰かの責任」に注目する前に、まず「自分の責任」を考えることが大切なのです。
『罪を自覚した者の恵み』
【マルコ2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」2:17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」】①「自分が正しい」と思い込んでいる人は、「神様を無視」します。そして「赦し」と「救い」が分かりません。イエス様は、「自分の罪」を自覚し、「救いを求める者」のために、自分は来たと言われたのです。「自分の罪や弱さ」を悩み苦しむのは、「幸いなこと」なのです。だからこそ「イエス様を求める」ようになるのです。イエス様は「そういう人のために来た」と言われたのです。