4月4日ヨシュア20-22章 マルコ2:23-3:12

イースターおめでとうございます。
主の復活を、心より感謝申し上げます。

4月4日ヨシュア20-22章 マルコ2:23-3:12
『神様の計画の大義を、考える』
【ヨシュア22:1 そのとき、ヨシュアはルベン人、ガド人、およびマナセの半部族を呼び寄せて、22:2 彼らに言った。「あなたがたは、【主】のしもべモーセがあなたがたに命じたことを、ことごとく守り、また私があなたがたに命じたすべてのことについても、私の声に聞き従った。22:3 今日まで、この長い間、あなたがたの同胞を捨てず、あなたがたの神、【主】の戒め、命令を守ってきた。22:4 今すでに、あなたがたの神、【主】は、あなたがたの同胞に約束したように、彼らに安住を許された。今、【主】のしもべモーセがあなたがたに与えたヨルダン川の向こう側の所有地、あなたがたの天幕に引き返して行きなさい。22:6 ヨシュアは彼らを祝福して去らせたので、彼らは自分たちの天幕に行った。】①ルベン人、ガド人、マナセの半部族は、ヨルダン川の向こう側(東側)の土地を分担されていました。しかし民の士気を保つために、ヨルダン川のこちら側(西側)において、最前線で戦い続けたのです。そしてこの22章で、ヨシュアの許可を受けて、自分たちの土地(東側)に帰って行ったのです。ヨシュアたちの戦いは、団体戦(チームワーク)でした。ですから民は、自分の願いを犠牲にしても、全体の目的を第一にしたのです。私たちはどうでしょうか。神様の大切な願いがある時に、自分ことだけを優先していないでしょうか。自分のことを大事にすることは当然なのですが、しかし時と状況によっては、「神様の大義」を考えることも、大切なのです。

『自分のルールで人を批判することの、戒め』
【マルコ2:27 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。2:28 人の子は安息日にも主です。」
3:1 イエスはまた会堂に入られた。そこに片手のなえた人がいた。3:2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。3:3 イエスは手のなえたその人に「立って真ん中に出なさい」と言われた。3:4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。彼らは黙っていた。3:5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。】①パリサイ派の人々が、イエス様が安息日にしてはならないことをしているということで、批判をしました。人間は、自分が正しいと思うことを主張し、人を批判し、自分を優位にしようという狡さがあります。しかしイエス様は、安息日の「本質」を語られたのです。「イエス様が正しい」と言われることを優先しましょう。自分の考えや思い込みは、時に邪魔になることがあるのです。  

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