4月9日士師記7-8章 マルコ5:21-43

『人の数ではなく、信仰を見ておられる神』
【士師記7:2 そのとき、【主】はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。7:3 今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい』と言え。」すると、民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。7:4 すると、【主】はギデオンに仰せられた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水のところに下って行け。わたしはそこで、あなたのために彼らをためそう。」】①主はギデオンに、ミデアンと戦うには、民は多すぎると言われました。そして3万2千人から1万人・・・最後には300人で敵と戦うようにと言われたのです。人数が安心材料ではないのです。信仰を持った(知恵深い)者たちに、勝利が与えられるのです。私たちも人数を見て、安心したり不安を感じたりしがちですが、神様は別の視点で見ておられるのです。

『苦しみを通じて与えられる、強い信仰』
【マルコ5:25 ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。5:26 この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。5:27 彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。5:28 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。5:29 すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。】①この女性は、「イエス様に触れるならきっと治る」という強い信仰を持っていました。病気は悲しみです。また癒しを求めてもそれが起こらないことも悲しみです。しかし神様は、苦しみの環境を通じて、彼女の「信仰」を引き出されたのです。神様はこのように苦しみを用いられることがあるのです。 

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