4月11日士師記10-11章 マルコ6:30-56

『悪の刈り取りの苦しみと、主の憐み』
【士師記10:15 すると、イスラエル人は【主】に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたがよいと思われることを何でも私たちにしてください。ただ、どうか、きょう、私たちを救い出してください。」10:16 彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、【主】に仕えたので、主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。・・・】①民がどれほど主から離れていようとも、一旦、主にすがり主に真心から立ち返るならば、主はその者たちをあわれみ、救い出してくださるのです。神様は、愛する子供が苦しんでいる時に、心を痛める父親のような存在です。罪を犯して、その結果に苦しんでいる人は、悪の道から離れ、キリストの赦しを受け入れましょう。心をキリストに明け渡し、主の喜ばれることを選び続けるならば、主はその人を豊かに祝福して下さるのです。

『イエス様の祈り』
【マルコ6:44 パンを食べたのは、男が五千人であった。6:45 それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸のベツサイダに行かせ、ご自分は、その間に群衆を解散させておられた。6:46 それから、群衆に別れ、祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた。】①イエス様は5000人給食の後、弟子たちを先に行かせ、ご自分は祈るために山に行かれました。イエス様は、いつも主と交わっておられました。大きな働きの前も後も、天の父との親しい交わりを持っておられたのです。私たちも同じです。私たちの原動力も、イエス様や父なる神様との祈りの交わり(愛の交わり)なのです。  

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