4月30日Ⅱサムエル7-8章 ユダ1章

『自分の足りなさを自覚する者の祈り』
【Ⅱサムエル7:18 ダビデ王は行って【主】の前に座し、そして言った。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。7:19 神、主よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。これが人の定めでしょうか。」】①ダビデは、主の素晴らしい約束に対して、「自分のような者がそのような祝福を受ける価値がない」と正直に祈りました。彼は自分の罪や至らなさを十分知っていたので、そのような言葉を語ったのです。それは彼が、サウル王に命を狙われ、ヘブロンでユダの王になった後も、弱い立場の中で苦しんだ経験があったからです。順調に上手くいった人は、自分の弱さを見ずに仕事を成し遂げられますが、徹底的に苦しんだ人は、自分の弱さを体験し、その中で主は憐れみをもって助けて下さることを学ぶのです。あなたは、「自分の弱さ」を体験していますか。それは主の助けと祝福を受ける「土台」となるのです。

『闇の中での光の真価』
【ユダ1:17 愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。1:18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現れる。」1:19 この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。1:20 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、1:21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。】①イエス様が再臨される直前に、「不敬虔や欲望」が満ちることが書かれています。「当たり前」のように人をごまかし、自分自身さえごまかしながら生きていく時代となるのです。そんな時代は必ずやってきますが、しかしだからこそ、そのような中で「聖霊に祈り」キリストの愛の中で「聖い生き方」をする者たちを、主は用いられるのです。闇が深くなればなるほど、光の中で生きる者の「真価」が問われるのです。  

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