『忠実な者を守られる神』
【Ⅱサムエル17:14 アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは【主】がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、【主】がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。】①ダビデは、息子アブシャロムの策略と謀反で、エルサレムから逃げなければならなくなりました。しかし神様は、ダビデの忠実さと、アブシャロムの狡さを、しっかりと見ておられたのです。そしてダビデを守ろうと神様は考えておられました。絶体絶命の状況下でも、神様は「忠実な者」を守られるお方です。一時的には、敗北のように思えても、最後には、良い種を蒔く者には納得できる状況に、神様は導かれるのです。
『キリスト者の行動』
【Ⅰペテロ3:8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。3:9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。3:10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、3:11 悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。3:12 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」】①主は、このようにキリスト者に願っておられます。「こんなことはできない」と思う人は、自分を知っている人です。しかしキリストの十字架の恵みを知り、聖霊の助けを受けることができる人は、少しずつでも、近づいていくことができるのです。大切なことは、主の願いに「応えようとする心」なのです。