『誘惑と失脚』
【Ⅰ列王12:26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。
12:27 この民が、エルサレムにある【主】の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」12:28 そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」】①ヤロブアムは、北イスラエルの王になりました。主はそのヤロブアムに対して「ダビデのように主に従うなら祝福する」と約束されたのです。しかしヤロブアムは、自分の人間的な打算と策略で、権力をつなぎとめようとしました。これが罪となり、ヤロブアムは祝福を落としたのです。「真理と打算」「神様の願いと肉の欲」人の世には、誘惑が満ちています。・・・「神様が喜ぶこと」を選びましょう。「打算は当たり前」と考える人は、危険なのです。
『素直な信仰』
【ルカ1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。】①マリヤは、天使から「イエス様の誕生」を聞いた時、「おことばどおりこの身になりますように」と答えました。これは「単純で素直な信仰」ですが、その意味することは「非常に重大なこと」でした。マリヤは処女で子供を産み、人々の無理解とさげすみを受け、大変な人生に進むことを「承諾した」ことにもなるのです。「素直な信仰」は、それを持ち続ける時に、「試練」を経験します。しかし主の助けによって、「試練」を乗り越えることができるのです。