『目に見えないもの(神様との約束)を重要視する』
【Ⅰ列王17:13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。17:14 イスラエルの神、【主】が、こう仰せられるからです。『【主】が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」】①主は、エリヤを通じて、この貧しいやもめにチャレンジを与えました。やもめは「目に見えるもの」(粉と油)よりも「目に見えないもの」(神様への信頼)を尊重することを決断したのです。信仰は「目に見える支え(物質)」と「目に見えない神様の言葉」のどちらを「より重要視するか」、の選択です。その試験に合格した者は、目に見える「物質的な祝福」さえも与えられます。この霊的な原則は、どんな時代にも有効なのです。
『不信仰の後の信仰』
【ルカ1:59 さて八日目に、人々は幼子に割礼するためにやって来て、幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、1:60 母は答えて、「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません」と言った。1:61 彼らは彼女に、「あなたの親族にはそのような名の人はひとりもいません」と言った。1:62 そして、身振りで父親に合図して、幼子に何という名をつけるつもりかと尋ねた。1:63 すると、彼は書き板を持って来させて、「彼の名はヨハネ」と書いたので、人々はみな驚いた。1:64 すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。】①ザカリヤは、神殿で御使いから「子供が与えられる」と約束されましたが、信じることができずに、口がきけなくなってしまいました。しかし口がきけない間に、悔い改めで、神様の計画を受け入れるように変えられたのです。不信仰な時期があったとしても、神様を信頼する人は、どこかで変えられるのです。その結果、不信仰や失敗さえも「神様の栄光」のために、用いられるようになるのです。