7月4日ヨブ記3-5章 1テサロニケ5章

『ヨブのうめきと祈り』
【ヨブ3:11 なぜ、私は、胎から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は、生まれ出たとき、息絶えなかったのか。3:12 なぜ、ひざが私を受けたのか。なぜ、私の吸う乳房があったのか。3:13 今ごろ、私は安らかに横になり、眠って休み、・・・】①ヨブは、神様を信じており、その守りを知っていましたが、友人たちがヨブの元にやってきた時、自分の内にある苦しみを、吐露したのです。信じていても、苦しみは湧き上がります。特に、苦しみの原因が分からない時には、その痛みは大きいのです。しかし主は、苦しみを通じて、ヨブの心にあるすべてを吐き出させ、その後に、癒しと回復を与えられたのです。・・・苦しみには意味があります。また苦しみの感情にも、意味があるのです。私たちは、主にすべてを訴える時、主の解決を見ることができます。しかし、それには時が定められているので、その時までは、待ち続ける必要があるのです。

『再臨の主を備えて生きる』
【Ⅰテサロニケ5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。】①私たちは、再臨のイエス様と出会う時がやってきます。その時に「責められることがないように」と使徒パウロは勧めているのです。地上のどんな成功も、「主に責められてしまう行為」ならば虚しいものです。私たちは、主に祈り、聖さを求め、主に喜ばれることを願うべきなのです。

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