7月10日ヨブ記22-24章 1コリント3章

『神を感じない時の祈り』
【ヨブ23:1 ヨブは答えて言った。23:2 きょうもまた、私はそむく心でうめき、私の手は自分の嘆きのために重い。23:3 ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。23:4 私は御前に訴えを並べたて、ことばの限り討論したい。・・・
23:8 ああ、私が前へ進んでも、神はおられず、うしろに行っても、神を認めることができない。23:9 左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことができない。23:10 しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。】①ヨブは、自分が置かれた悲惨な状況を、神様に直接訴えていました。しかし祈りの中で、全く神を感じることが出来なかったのです。ヨブほどの信仰者でも、神を感じない時があるのです。しかし「感じない」から「神がおられない」のではありません。それでも信じて祈り続ける者は、最後には「隠れていた神が突然現れるように」、神との交わりができるのです。(38章以降)そのことを信じ、祈り続ける者は幸いなのです。

『天国の価値観』
【Ⅰコリント3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。3:14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。】①パウロは、「キリストの土台」の上に、「様々な建物」を建てると書き記しました。これは私たちが「地上で成し遂げるもの」のことです。それには「神に喜ばれるもの(金銀宝石)」もありますが、「神から見て価値のないもの(木草わら)」もあるのです。あなたは「神様が喜ぶもの」を建て上げていますか?・・・「それを意識する者」は、天国で、「後悔する」ことが減るのです。  

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