7月16日詩編1-6篇 1コリント9章

『何をしても栄える道』

【詩1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。1:4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。】①主の教えを喜びとする人は、「何をしても栄える」と書かれています。それぞれの事情や状況はありますが、その置かれている状況で、天の神様に喜ばれることを願いとしていきましょう。そして主の約束を受け取りましょう。

『賞を受ける人生を生きる、情熱』

【Ⅰコリント9:24 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。9:25 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。9:26 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。9:27 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。】①パウロは、「自分の人生の使命」を果たしたいと願いました。そのために努力し、自制をしたのです。私たちもそのように生きるには、まず自分自身が、十字架の愛を「体験する」必要があります。それは「自分の罪」を知ることです。「罪を赦されている」事実を、感動をもって受け取る時に、「神様の願い」を行いたいという気持ちとなるのです。

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