『主に、心に痛みを訴える』詩篇38-41篇
【詩39:1 私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。39:2 私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった。39:3 私の心は私のうちで熱くなり、私がうめく間に、火は燃え上がった。そこで私は自分の舌で、こう言った。
39:12 私の祈りを聞いてください。【主】よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。私はあなたとともにいる旅人で、私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。】①ダビデは悪者が目の前にいる時には、一切の無駄な言葉を話しませんでした。しかし無言でいると、心の中に激しい痛みと火が燃え上がったのです。ダビデはその痛みと憤りを主に心から訴えました。そのことを通じて平安が与えられ、最善な判断と行動をすることができたのです。私たちは「本音」を主に訴える必要があります。それは私たちの「心の健康と平安」のためなのです。
『サタンに欺かれないために』Ⅱコリント2:5-3:6
【Ⅱコリ2:7 あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。
2:10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。2:11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。】①赦しはイエス様の御心です。しかし人を憎むことは、私たちの周りでは日常の様に起きています。しかしその悪感情に安易に流されてはなりません。下手をすると悪魔の策略に乗ってしまい、神様の願わない感情を持ち、神様の敵となる行動を取ってしまうかもしれないからです。ですから「悲しみや痛み」を感じる時には、特別に注意をして「祈ること」が大切なのです。