『救いと憐れみの神』
【ヨナ4:9 すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」4:10 【主】は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。4:11 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」】
〇ヨナは敵国アッシリヤの首都ニネベが滅びることを願っていました。
しかし主はそんなニネべの人々に「救いの手」を伸ばそうと考えておられたのです。
「救い」を主は願っておられます。
主の考えは、私たちは理解できない時が多くあります。しかしそれが最善であることに気がつく瞬間が、必ずやってくるのです。
『キリストの苦しみの欠けたところを満たす』
【コロサイ1:24 ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。1:25 私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。】①イエス様は、十字架の苦しみの後、復活され天に帰られました。地上に残った私たちには「苦しみの欠け」を満たす働きがあるのです。「キリストの身体」のために「苦しみを経験する」ことが、「あなた」に託されているならば、素晴らしいことではないでしょうか。その苦しみは「神の評価」として「永遠に残る」ものだからです。