10月5日イザヤ19-22章 ヘブル9:11-28

『主に喜んで頂きたいという純粋な心』
【イザヤ22:4 それで、私は言う。「私から目をそらしてくれ、私は激しく泣きたいのだ。私の民、この娘の破滅のことで、無理に私を慰めてくれるな。」・・・
22:12 その日、万軍の神、主は、「泣け。悲しめ。頭を丸めて、荒布をまとえ」と呼びかけられたのに、22:13 なんと、おまえたちは楽しみ喜び、牛を殺し、羊をほふり、肉を食らい、ぶどう酒を飲み、「飲めよ。食らえよ。どうせ、あすは死ぬのだから」と言っている。】①イザヤは「真の預言者」であり、民の創造主に対する「霊的反抗心」を心から悲しんだのです。多くの人々は、主の御心を考えることもなく、当時も自分のことだけを考えて、生きていたのです。②あなたは主が喜ばれることを願っていますか。生きる上で最も大切なことは、「主を愛する」という純粋な心なのです。

『主が計画された、必ず起ること』
【ヘブル9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。】①私たちには、死後「裁き」を受けることが定められています。その時には、良いことも悪いことも明らかになり、正しく裁かれるのです。②キリストの十字架の贖いは、私たちにとって「大きな感謝」です。それは罪を認め、悔い改めるならば赦されるからです。聖書は「必ず、再臨の備えをするように」と、勧めています。自分の罪を「いい加減に扱え」ば、後で大変なことになるからです。  

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