2月11日出エジプト40章 マタイ27:27-44

『主の臨在に従って歩む』
【出40:33 こうして、モーセはその仕事を終えた。40:34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた。40:35 モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、【主】の栄光が幕屋に満ちていたからである。40:36 イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。40:37 雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。40:38 イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は【主】の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。】①モーセが幕屋を完成させた時、主の臨在が幕屋に満ち、立つことができないほどになりました。その後モーセたちは、幕屋に満ちる主の臨在の雲に導かれて、荒野の旅を進んでいったのです。②新約の今、イエス様が私たちと共におられます。幕屋に雲が満ちるように、イエス様は私たちの中に臨在され、共にいてくださるのです。・・・私たちも、主の臨在(導き)を覚えましょう。私の願いに「主が付いてくる」のではなく、主の願いに「私が合わせる」のです。

『十字架の犠牲』
【マタイ 27:35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、27:36 そこにすわって、イエスの見張りをした。
27:41 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。27:42 「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。27:43 彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」27:44 イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。】①この時イエス様は、むち打ちの刑を受け、十字架につけられ、肉体はボロボロの状態でした。腕はだるく、筋肉は痙攣し、背中の皮膚は裂けて、身体中に痛みが走っていたはずです。その上で、人々の罵声が投げかけられていました。②神の子が、なぜこのような苦しみ通られたのか、その理由は、私たちの為です。私が罪を犯し、イエス様の十字架の犠牲がなければ、私は地獄に行かなければなりませんでした。救いようがない絶望の人生だったのです。イエス様に買い戻していただいた「自分の命」を大切に使いましょう。そして、イエス様の愛を忘れてはいけません。イエス様の愛を忘れなければ、すべきことは分かってくるのです。

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