3月20日申命記16-17章 使徒21:37-22:21

『過越しの祭りの意義』
【申16:1 アビブの月を守り、あなたの神、【主】に過越のいけにえをささげなさい。アビブの月に、あなたの神、【主】が、夜のうちに、エジプトからあなたを連れ出されたからである。16:2 【主】が御名を住まわせるために選ぶ場所で、羊と牛を過越のいけにえとしてあなたの神、【主】にささげなさい。
16:3 それといっしょに、パン種を入れたものを食べてはならない。七日間は、それといっしょに種を入れないパン、悩みのパンを食べなければならない。】①過越しに捧げられる「子羊」は、初子の身代わりとしてのいけにえでした。このいけにえは、キリストが私たちの罪の身代わりになったことを示すものです。過越しの子羊と一緒に食べる「パン」は、パン種が入っていないものでした。聖書ではしばしば、パン種はこの世の罪と腐敗を示す例えとして用いられています。ですから「種入れないパン」は、罪の世の中から分離をして、神に自分を捧げることを現していたのです。・・・神様は、毎年祭りを行わせることを通じて、民に世との分離の大切さを、定期的に確認させていたのです。

『あなたの証によって周りの人が影響を受ける』
【使22:6 ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。22:7 私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞きました。22:8 そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ』と言われました。22:9 私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。22:10 私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる』と言われました。】①パウロのイエス様に出会った時の体験は、劇的なものでした。なぜ「クリスチャンを迫害していたパウロ」が「イエスキリストを主として、救い主として受け入れたのか。」・・・人々はその証に触れ、衝撃を受けました。私たちの「生きた証」はその証を聞いた人を、変えるのです。私たちは、「自分の証」を上手に語れるように、祈りましょう。あなたの証を通じて、イエス様を信じる人が備えられているのです。

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