4 月 25 日Ⅰサムエル 23-25 章 マルコ 14:27-52

『ダビデの生き方』
【Ⅰサムエル 24:4 ダビデの部下はダビデに言った。「今こそ、【主】があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ』と言われた、その時です。」そこでダビデは立ち上がり、サウルの上着のすそを、こっそり切り取った。24:5 こうして後、ダビデは、サウルの上着のすそを切り取ったことについて心を痛めた。24:6 彼は部下に言った。「私が、主に逆らって、【主】に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、【主】の前に絶対にできないことだ。彼は【主】に油そそがれた方だから。」】①ダビデは、自分がサウル王から殺されそうであっても、サウル王に手をかけることはしませんでした。そのことが「主が悲しまれること」だと知っていたからです。ダビデは自分が損をしても、自分の身が危うくなっても、「主が喜ぶことを選び」、「悲しむことを避けて」生きたのです。このような生き方を理想論として退けることもできます。しかしそのように生きた人には、確かに祝福されるのです。

『本当の自分の姿』
【マルコ 14:30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」14:31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」
みなの者もそう言った。】①ペテロをはじめ、弟子たちはすべて、自分たちは「イエス様を裏切らない」と信じていました。しかし実際に殺される恐怖を感じた時、皆バラバラに逃げてしまったのです。人間は、「自分の本当の心」を知らずに生きていることがあります。しかしそれを知った者は、「自分が罪人」であり、「どうしようもない存在」であると気が付くのです。その時初めて、私たちはイエス様に正直になり、自分を捨て、自分の十字架を負ってイエス様についていくことができるのです。

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