7月1日エステル5-7章 1テサロニケ1:1-2:16

『全ての道に主を認めよ』
【エステル6:1 その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じ、王の前でそれを読ませた。6:2 その中に、入口を守っていた王のふたりの宦官ビグタナとテレシュが、アハシュエロス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれてあるのが見つかった。6:3 そこで王は尋ねた。「このために、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイにしたか。」王に仕える若い者たちは答えた。「彼には何もしていません。」】①エステルは、命がけで王のもとに行くと、王は謁見の許してくれました。エステルは、宴会に王とハマンを招待しますが、用件はその日には言わず、次の日に言うように導かれたのです。ここに「主の計画」があります。「無意識」の中にも主は働かれるのです。「箴 3:6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ」とあるように、「先が見えない中」でも、「主を信じて進む」時に、「最善のこと」が起こるのです。そんな信仰が大切なのです。

『自分の限界を超える』
【Ⅰテサロニケ 2:2 ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。2:3 私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。2:4 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。】①私たちは、天の父なる神様の目的によって、この時代に生まれ、生かされています。使徒パウロは「使命」を自覚し、「人」ではなく、「神様」を喜ばせたい、と考えて、行動をしました。その結果、多くの「主の働き」をすることが出来たのです。「自分のことばかり」を考えていると、限界にぶつかります。信仰によって神様のしるしを受け止める時、私たちは、「自分の限界を超える」ことが出来るのです。

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