7月8日ヨブ15-18章 1コリント1章

『ヨブが求めた救い主』

【ヨブ16:10 彼らは私に向かって口を大きくあけ、そしって私の頬を打ち、相集まって私を攻める。16:11 神は私を小僧っ子に渡し、悪者の手に投げ込まれる。16:12 私は安らかな身であったが、神は私を打ち砕き、私の首をつかまえて粉々にし、私を立ててご自分の的とされた。・・・

16:19 今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。16:20 私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。16:21 その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。】①正しいことをしてきた筈のヨブは、自分の受けた悲惨な状況によって混乱していました。友人から批判される中で、この苦しみは「神様が私を打った」と思ったのです。そして「すべてを知って正しく裁かれ」、「自分をとりなしてくださる存在」を求めたのです。ヨブが求めたお方が、後に来られたイエス様です。イエス様は、「罪深い私たち」をとりなし、理解し、赦し、そして正しく導いて下さるお方なのです。

『十字架の言葉』

【Ⅰコリント1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。・・・

1:25 なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。】①パウロは、十字架の言葉は、「救いを受け取る私たちには力となる」と語りました。「一見愚かに見える」十字架を信じることが出来るのは、自分の罪を認め、救いを「へりくだって」受け取った者なのです。「自分は正しい・強い」と思い込んでいる人は、「十字架の言葉」を受け取れません。「プライド」によって、反発してしまうのです。「自分が本当に弱い」と悟った人だけが、心から「十字架にすがること」が出来るのです。

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