『自分の義と神様の義』
【ヨブ28:23 しかし、神はその道をわきまえておられ、神はその所を知っておられる。28:24 神は地の隅々まで見渡し、天の下をことごとく見られるからだ。28:25 神は風を重くし、水をはかりで量られる。28:26 神は、雨のためにその降り方を決め、いなびかりのために道を決められた。28:27 そのとき、神は知恵を見て、これを見積もり、これを定めて、調べ上げられた。28:28 こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」】①ヨブは、自分の正しさを主の前に主張していますが(27:1-)、同時に、ここでは主はすべてを知っておられると語っているのです。私たちも同じです。自分は正しいと神の前に主張しますが、同時に、神は正しく自分は間違っている部分がある、ことも知っているのです。これが正直な人間の姿です。ヨブは、この揺れる心の中で、正しい方向に導かれていくのです。
『間違った裁きの基準』
【Ⅰコリント4:3 しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。4:4 私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。4:5 ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。】①パウロは、自分は「やましいことはない」と言っています。そして自分の正しさを宣言できる方は、主だけだと言っています。主は「やみの中に隠れたこと」も明らかにされるお方です。「心の中のはかりごと」も知っておられるのです。ですから主を畏れましょう。主の「さばきの基準」で、私が判断されるのです。