7月18日詩編11-16篇 1コリント10:14-11:1

『主を前において生きる』
【詩16:8 私はいつも、私の前に【主】を置いた。【主】が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。16:9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。】①主を自分の前に置くことは、素晴らしいことです。主と共に歩むことであり、道を外れない方法でもあります。しかしそれは「自分の汚れや罪を直視する」ことにもなるのです。主についていく時、主と違う考え、すなわち「汚れた自我・強欲」を見つけたならば、「悔い改める」必要があるのです。「主と共に」歩みましょう。そしてあなたの「本当の姿」を知って、祈りましょう。主はあなたを愛しておられ、「いのちと聖めの道」を歩ませたいと願っておられるのです。

『偶像礼拝を避ける』
【Ⅰコリント10:14 ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。10:15 私は賢い人たちに話すように話します。ですから私の言うことを判断してください。10:16 私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。】①「神様と共に歩む道」は、祝福に富んだ道です。しかし心から主と共に歩む時、(私たちは罪人ですから)、イエス様の考えとは違う「わがままな考え」に気がつくのです。偶像礼拝は、何かの像を拝むことだけではないのです。神様が嫌われる価値観(自我)を神様のように握り続けることも、偶像礼拝なのです。自我に執着すること、意地悪をすること、わがまま・・・これらの根は、「神以外の何か」に執着する心から生まれます。偶像礼拝を避けましょう。あなたは「イエス様に愛されて」いるのですから、イエス様にだけついて行きましょう。

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