『感謝のいけにえ、主を呼び求める』詩編49-51篇
【詩50:7 「聞け。わが民よ。わたしは語ろう。イスラエルよ。わたしはあなたを戒めよう。わたしは神、あなたの神である。50:8 いけにえのことで、あなたを責めるのではない。あなたの全焼のいけにえは、いつも、わたしの前にある。50:9 わたしは、あなたの家から、若い雄牛を取り上げはしない。あなたの囲いから、雄やぎをも。
50:13 わたしが雄牛の肉を食べ、雄やぎの血を飲むだろうか。50:14 感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。50:15 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」】①主は、すべてを造られたお方なので、すべてに満ち足りています。主はいけにえを求めているのではなく、主は本当に求めているものは「私たちの感謝の心」なのです。感謝のいけにえを捧げましょう。主に誓ったことは果たしましょう。苦難の日に、主の助けを求めましょう。主は「あなた」を、助け出されるのです。
『偶像と汚れを避ける』2コリント6:3-7:1
【Ⅱコリント 6:16 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。6:17 それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、6:18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」 7:1 愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。】①私たちの「聖め」は主からの命令です。それは「無理やり」ではなく、私たちの「主への応答」として「自分の意思」で行うものです。パウロは「・・・しようではありませんか」と勧めているのはそのような意味合いです。あなたは聖めを求めていますか。あなたが本気で求めているならば、あなたの行動が変わります。あなた神の願いを「実行する人」となるのです。