9月21日ヨナ1-4章 コロサイ1:24-2:5

『救いと憐れみの神』
【ヨナ4:9 すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」4:10 【主】は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。4:11 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」】
〇ヨナは敵国である、アッシリヤの首都ニネベが滅びることを願っていました。
しかし主はそんなニネべの人々に「救いの手」を伸ばそうと考えておられたのです。
主の考えは、私たちは理解できない時が多くあります。しかし主は「救い」を願っておられます。
主の憐れみは、計り知れないのです。

『キリストの苦しみの欠けたところを満たす』
【コロサイ1:24 ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。1:25 私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。】①イエス様は、十字架の苦しみの後、復活され天に帰られました。地上に残った私たちには「苦しみの欠け」を満たす働きがあると、聖書は言うのです。「キリスト」のために「苦しみを経験する」ことが託されているならば、素晴らしいことではないでしょうか。その苦しみは「永遠に残る価値」を持つものなのです。

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