『神様の計画の大義を、考える』
【ヨシュア22:1 そのとき、ヨシュアはルベン人、ガド人、およびマナセの半部族を呼び寄せて、22:2 彼らに言った。「あなたがたは、【主】のしもべモーセがあなたがたに命じたことを、ことごとく守り、また私があなたがたに命じたすべてのことについても、私の声に聞き従った。22:3 今日まで、この長い間、あなたがたの同胞を捨てず、あなたがたの神、【主】の戒め、命令を守ってきた。22:4 今すでに、あなたがたの神、【主】は、あなたがたの同胞に約束したように、彼らに安住を許された。今、【主】のしもべモーセがあなたがたに与えたヨルダン川の向こう側の所有地、あなたがたの天幕に引き返して行きなさい。22:6 ヨシュアは彼らを祝福して去らせたので、彼らは自分たちの天幕に行った。】①ルベン人、ガド人、マナセの半部族は、ヨルダン川の向こう側(東側)の土地を分担されていました。しかし民の士気を保つために、ヨルダン川のこちら側(西側)において、最前線で戦い続けたのです。そしてこの22章で、ヨシュアの許可を受けて、自分たちの土地(東側)に帰って行ったのです。ヨシュアたちの戦いは、団体戦(チームワーク)でした。ですから民は、自分の願いを犠牲にしても、全体の目的を第一にしたのです。「神様の大切な願」いがある時に、自分ことだけを優先してはいけません。時と状況によっては、「神様の大義」を優先することが必要なのです。
『自分のルールで人を批判することの、戒め』
【マルコ3:1 イエスはまた会堂に入られた。そこに片手のなえた人がいた。3:2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。3:3 イエスは手のなえたその人に「立って真ん中に出なさい」と言われた。3:4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。彼らは黙っていた。3:5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。】①パリサイ派の人々は、イエス様が安息日に「癒し」をすることを批判しました。しかしイエス様は、安息日の「本質」を語り、実行されたのです。私たちは「自分の正しさ」を考える必要があります。それは「神様の前」では愚かなことがあるのです。