『悪の刈り取りの苦しみと、主の憐み』
【士師記10:15 すると、イスラエル人は【主】に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたがよいと思われることを何でも私たちにしてください。ただ、どうか、きょう、私たちを救い出してください。」10:16 彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、【主】に仕えたので、主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。・・・】①民がどれほど主から離れていようとも、一旦、主にすがり主に真心から立ち返るならば、主はその者たちを赦し、救い出してくださるのです。神様は、愛する子供が苦しんでいる時に、心を痛める父親のような存在です。罪を犯して、その結果に苦しんでいる人は、悪の道から直ぐに離れましょう。先延ばしは厳禁です。早ければ早いほど、被害が少ないのです。
『イエス様の祈り』
【マルコ 6:44 パンを食べたのは、男が五千人であった。6:45 それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸のベツサイダに行かせ、ご自分は、その間に群衆を解散させておられた。6:46 それから、群衆に別れ、祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた。】①イエス様は5000人の給食の後、弟子たちを先に行かせ、ご自分は祈るために山に行かれました。イエス様は、いつも天の父と交わっておられました。大きな働きの前も後も、親しい交わりを持っておられたのです。私たちも同じです。私たちの原動力も、主との交わり(祈りの交わり)なのです。