『心を見ておられる神様』
【Ⅰサムエル16:6 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、【主】の前で油をそそがれる者だ」と思った。16:7 しかし【主】はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」】①主は、神に反逆したサウル王の代わりに、次の王としてのダビデを立てました。主はダビデの「心」を見て彼を選んだのです。彼は若く、未経験でしたが、主はダビデの心を通じて、ダビデの子孫に、救い主イエス様を誕生させると約束されたのです。私たちも、人間の世では「見栄え(外見)」が大切ですが、「神様との関係」では「心」が一番重視されるのです。
『心を見ておられるイエス様』
【マルコ12:42 そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。12:43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。12:44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」】①今日の新約の箇所は、旧約と同じテーマです。イエス様は、貧しいやもめが精一杯捧げた心を、しっかりと受け止めておられたのです。人は、目に見える大きさや自分の価値で判断します。しかし私たちのイエス様は、「私たちの真心」を正しく、見て下さっているのです。