『罪の指摘と悔い改め』
【Ⅱサムエル12:7 ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、【主】はこう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、サウルの手からあなたを救い出した。・・・12:9 それなのに、どうしてあなたは【主】のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行ったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。・・・12:10 今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。』」】①神様は、預言者ナタンを通じて「ダビデの罪」を明らかにしました。ダビデはその言葉に衝撃を受け、「心から悔い改め」ました。その結果、彼は罪を赦され、ダビデの子孫に救い主が誕生したのです。・・・「罪の指摘」には勇気が要ります。しかしその指摘を通じて「悔い改め」が起きたのです。私たちが信じる父なる神様は、赦しの神です。但し悔い改めを通じて「赦される」ことも、現実として受け止めなければならないのです。
『み言葉を乳のように求める』
【Ⅰペテロ2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。2:3 あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。2:4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。2:5 あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。】①イエス様の弟子(すべてのクリスチャン)は、「成長すること」を願われています。そのために「御言葉」を赤ちゃんが乳を求めるように、慕うことが大切です。毎日コツコツすることが大切なのです。日々の成長は、「毎日の習慣」の結果なのです。
