7月28日詩編42-44篇  2コリント3:7-4:18

『主を求める心』詩編42-44篇  
【詩42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。42:2 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。42:3 私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。・・・42:5 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。】①信仰者は、時に渇くように神を求めます。それは孤独や問題を通じて、求めるように導かれるのです。感情で受け止められない時、信仰者は、自分で自分に「神を待ち望め」と語り掛けることがあります。そのような告白を通じて、試練の時を乗り越えることができるのです。

『土の器』2コリント3:7-4:18
【Ⅱコリント4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。】①キリスト者は土の器です。時に弱さや恐れ、悲しみや不安を感じますが、神様からの宝を内側に持っているので、敗北することはないのです。外側の状況が耐えられなくなり、もう自分はダメだと思った時、私たちは「内側」に住んでおかれる主に目を留めるのです。

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